ノーブルホームカップ第26回関東学童秋季大会は11月24日、東京・旗の台クラブの初優勝で閉幕した。同日の準決勝に続くダブルヘッダーとなった決勝は、栃木・阿久津スポーツと激しい点取り合戦に。旗の台は計13選手、5投手をつぎ込んでこれを制し、秋の最高位となる関東チャンピオンに輝いた。そんな王者のインサイドストーリーと、グッドルーザーもお届けしよう。
※記録は編集部、学年未表記は5年生
(写真&文=大久保克哉)
優勝=初
[東京]旗の台クラブ
準優勝
[栃木]阿久津スポーツ
■決勝/第3試合
◇11月24日 ◇茨城・水戸
旗の台クラブ(東京)
00344=11
01140=6
阿久津スポーツ(栃木)
【旗】栁澤、岡野、豊田、大島、大野-岡野、遠藤
【阿】二ノ宮、川尻、森田-丸山
二塁打/川尻(阿)、岡野(旗)、丸山(阿)、国崎(旗)
関東王者を決める大一番。結果としてクローズアップされたのは『投手は1日70球まで』という投球制限ルールだった。というのも、双方の先発投手が70球に達しての降板から試合が激しく動いたからだ。
規定70球まで投げ合い
後攻めの阿久津スポーツは、エースの栗林海斗が準決勝で70球を投じており、決勝は遊撃の守備へ。準決勝で救援していた右腕・二ノ宮直之が、決勝のマウンドで43球目からスタートした。
90㎞前後の速球を中心に、相手の強力打線を2回までヒット1本に抑える好投。先制直後の3回表に、テキサス安打とバックのミスで1対1に追いつかれたものの、続く打者を二飛に打ち取って70球、お役御免となった。
「この大会は栗林も二ノ宮も、素晴らしいピッチングをしてくれて、ウチらしい守り勝つ野球ができました」と、阿久津・小林勇輝監督は両右腕を称えた。
阿久津の二ノ宮(上)は3回二死まで、旗の台の栁澤(下)は3回まで。先発投手がそれぞれ粘投した
対する旗の台クラブは、準決勝で先発していたエース左腕・豊田一稀が、決勝で投げられる球数は5球だけ。“とっておきの切り札”にならざるを得なかった。
先発の大役を担ったのは、大型右腕の栁澤勇莉。準決勝の5回から無安打救援しており、28球目からのスタートだったが最速98㎞のスピードを惜しむことなく、無難に立ち上がった。3回で70球に達するまでに2点を失うも、最少失点に留める粘投が目を引いた。
またそれより光ったのが、阿久津のしぶとい攻撃だった。
2回裏、阿久津は川尻主将の二塁打に二ノ宮のバント安打(上)で一死一、三塁からスクイズで先制。川尻主将は続く3回に三遊間を破るタイムリー(下)
2回裏、川尻一太主将の二塁打と、二ノ宮のバント安打で一死一、三塁とすると、八番・髙橋伸の2球目で先制スクイズに成功する。
1対3と逆転されて迎えた3回には、川尻主将のタイムリーで1点差に詰め寄った。さらにスクイズは失敗(ファウル)など、同点には持ち込めずも、2回と3回だけで内野安打3本など、ただでは転ばぬ打者たちが、旗の台の投手陣を苦しめていくことになる。
5点リードから火の車
「練習試合と大会(公式戦)では、重みが違います。ウチは大会でのダブル(同日2試合)はほとんど経験がなくて、2試合目の3番手、4番手のピッチャーは初めてだったので、これからの良い糧になると思います」(阿久津・小林監督)
東京大会で打ちまくってきた旗の台打線が、本領を発揮し始めたのは3回。相手の投手が2番手に代わってからだった。
4回表、旗の台は柳(上)、国崎(下)、大島の3連連続適時打など打者一巡で7対2と突き放す
1回戦でサヨナラ打を放っていた四番・大島健士郎は、4打数3安打。1対1として迎えた3回の第2打席は、二死から2点タイムリー。左翼・中堅・遊撃のトライアングル中央に落下するテキサス安打ながら、この幸運が4回、打者10人の猛攻を呼んだのかもしれない。
岡野壮良の二塁打を皮切りに、犠打と野選で2点差とすると、二番・柳咲太朗から三番・国崎瑛人、四番・大島まで3連続タイムリーで7対2に。5回には代打・下玉利瑛純の右前打と二盗に始まり、途中出場の遠藤雄大主将がタイムリー。さらに国崎が満塁走者一掃の左越え二塁打で2ケタ得点となった。
4回表のピンチでも阿久津は選手だけでタイム(上)。イニング2打席目の旗の台・岡野はあわや一発の特大飛球を放つ(下)
しかし、後半戦はワンサイドで進んだわけではなかった。旗の台・酒井達朗監督は試合後、こう振り返っている。
「やっぱり、5年生の試合なので不完全な部分も山ほど出て。ピッチャーも継ぎはぎだらけでしたけど、何とか逃げ切ることができました」
旗の台にはとりわけ長い、守りのイニングとなったのは、7対2として迎えた4回裏だった。この回から登板した二番手が3連続四球。無死満塁のピンチで“とっておきの切り札”のエースが救援も、押し出し四球で残り5球も尽きてしまう。さらには4番手投手が、満塁走者を一掃する痛打を浴びることに。
中堅手・森田哲大(上)の大飛球キャッチで4回の守りを終えた阿久津は、無死満塁から三番・丸山が中越え二塁打(下)で再び1点差に迫る
左打席で98㎞の速球をジャストミートし、中越えの3点二塁打を放ったのは、阿久津の三番・丸山智暉だ。
「前の2打席は引っ掛けていて(凡退)、監督からも『センター方向』と言われていたので、自分でもその意識で。真ん中の甘い球が来たので思い切り打ちました」
この一打で、旗の台のリードは1点差に。さぁ、どうする、ブルペン陣が火の車の旗の台――。
小さな救世主が現る
東京王者には、まさしく「救世主」だった。4回裏だけで実に4人目の登板となった背番号21、大野達貴だ。
旗の台は5番手の大野(上)が4回一死から好救援。遊撃手の米田(下)らが堅守で支えた
この小さな右腕は、東京大会決勝でも先発登板。「あの子が投げると、不思議と盛り上がる」と酒井監督は評していたが、2本塁打を浴びて1回で降板。関東大会はここまで、ベンチを温め続けていた。
「ずっと投げたかったです。今日も試合前から、監督にずっと『投げたい!』と言ってきました。これからも言い続けると思います(笑)」(大野)
そんな勝ち気な右腕を「ガマン!ガマン!」となだめてきた指揮官が、「OK!オマエ行こう!」と送り出したのは、崖っぷちのマウンドだった。5点あったリードを一気に1点まで縮められ、なお一死一塁のピンチ。並の小学生なら足がすくむような、相手の押せ押せムード一色の情勢でしかし、大野は真価を発揮した。
「打たせて取るのがボクの持ち味。守る野手全員が体がなまらないように、それぞれの場所に打たせるみたいな(笑)。最初は少し緊張したけど、東京の決勝で投げたのも大きかったかなと思います」
5番手の大野は言葉通り、すいすいと2者を打ち取って長い守りを終わらせた。次の6回裏はバックにミスも出たが、制球を乱すこともなく、最後は三振(振り逃げ)で胴上げ投手に。
5回表、旗の台は代打・下玉利の右前打(上)から再び猛攻。途中出場の遠藤主将も左へタイムリー(下)
金メダルを首から下げた酒井監督は、安堵の表情でしみじみと語った。
「決勝は3人の継投で締める予定でしたけど、それ以上は…。『困ったときは大野クン!』と言ってはいましたけど、本当になるとは。いやぁ、学童野球を象徴してましたね。どんなに速い球を投げられても、ストライクを投げてアウトを取れなかったら、ダメですね。大野クンがそれを教えてくれたと思います」
これで東京勢が大会3連覇。昨年は船橋フェニックスが連覇を遂げている。旗の台は初優勝で、2020年の秋にも東京大会を制していたが、関東大会はコロナ禍で中止に。当時も率いていたのが、チームの代表を兼ねる酒井監督だった。
5回裏の阿久津は0点。両軍がベンチに引き上げてから、審判団よりタイムアップによる「終了」が告げられた
阿久津スポーツ・小林勇輝監督「こういう舞台でやれたのが良い経験。準優勝という結果は、逆にボクたち指導陣もビックリです。エースの栗林が0点に抑えて、四番の湯浅(朝陽)がワンチャンスで打つ。ウチらしく守り勝てたので、やってきたことは間違いじゃないぞと思います。ここで終わりじゃないし、来年の全国や関東に向けて、冬もまたがんばります」
―We are champion―
なぜ、そんなに明るくて楽しそうなのか。
はたのだい
旗の台クラブ
【戦いの軌跡】
1回戦〇2対1玉村(群馬)
準決勝〇3対2平戸(神奈川)
決 勝〇11対6阿久津(栃木)
10月6日に閉幕した東京大会では、6試合で58 得点。2回戦から4試合連続の2ケタ得点に、決勝では2本塁打など、打ちまくった(リポート➡こちら)。
そんな旗の台クラブが、11月23日の関東大会1回戦では別の打線のように終盤まで沈黙した。相手チームの打たせて取る好投と堅守もあったが、打撃不振の理由で思い当たる節が彼ら自身にもあったという。
1回戦でサヨナラ打の四番・大島が、決勝は3安打3打点と大役を果たした
「ちょっと私の反省なんですけどね」と、酒井達朗監督が切り出した。
「ここ2ヵ月の練習試合は、対戦相手の意向もうかがいながら、大人用レガシー(一般用の複合型バット※2025年1月から使用禁止)を使う試合と、使わない試合が出てきて。それでバッティングの調子が狂ったんですよ。大人用レガシーでは軽くミートしてスポーンと振り抜いて飛ばせていたのが、飛ばないバットではそうはいかないので、目一杯にガーッと振る。そうやってバットをとっかえひっかえさせてきた影響が、この大会に出てましたね」
想定を超える悪影響だったようだ。もし優勝していなければ、打ち明けられることもなかった実情かもしれない。負けた言い訳に受け取られてしまうからだ。
それでも指揮官は「バットのとっかえひっかえ」に踏み切り、選手たちもそれに賛同して従った。誰もが関東大会よりも先、「飛ばないバット」で戦うことになる2025年を最優先に見据えていることの証しだ。6年生たちは今夏の全国予選で東京4位。ベンチに入っていた5年生たちは、全国初出場の悲願を託されている。
指揮官の先見の明
以心伝心と、底抜けの明るさと、いちいち萎えない全力プレー。大会中はこれらも際立ったが、その土壌を築いていたのは指揮官であり、その包容力と先見の明ではなかっただろうか。
決勝は相手の倍となる4つのエラーが守備であり、1つは失点にもつながった。許したバントヒットも2本、よく言われる「取れるアウトを取れなかった」ものだ。けれども、ベンチの指揮官はカリカリもジタバタもしていなかった。
発する声に抑揚はあっても、怒りがそこに乗っていないのはトーンからも明らか。1イニングで4投手が計5四球を与えた決勝の4回裏も例外ではなかった。
「私も心の中ではグチグチとは言ってるんですよ。でも表には出さないように。ミスした子が、その次にどういうふうに立ち直るのかということと、周りがどれだけカバーしてあげられるかというのを課題にしていますので。まぁ、それは少しできたのかなと思います」(酒井監督)
1回の守りでは、1つの打球で内野手の捕球ミスと外野手の送球ミスが重なり、打者走者に二塁まで行かれた。しかし、先発した栁澤勇莉が、落ち着いて後続を断った。3回にはミス絡みから1点を失うも、そこからまた踏ん張って最少失点で終わらせた。
時には指揮官がタイムを取ってマウンドへ。あるいは、走者とベースコーチと打者と次打者をベンチ前に呼び寄せる攻撃中のタイムもあった。30番を見つめる選手たちから感じるのは、信頼や高揚感。少なくとも、目の前の大人に怯えたり、良くない結果とその後を予想して縮こまるような雰囲気はなかった。
「思うようにいかなかったり、ミスが出たりしても、どうしたらいいか、監督も一緒に考えて戦ってくれる。いつもそんな感じです」(遠藤雄大主将)
選手たちはピンチでもプレーすることを恐れていない。そう見えたのも筆者だけではないだろう。唐突に「楽しめ!」だの「笑え!」だのと、見当違いな命令は聞かれないが、十分に楽しそう。次の展開も読みつつ、各選手がやるべきことを明確にするために確認や指示をするのが酒井流だ。
「もちろん、時には『集中しろ!気合いを入れていけ!』というのも言いますよ。でもそれより、その場その場でなるべく具体的に、意識することや次にありそうな展開などを伝えるように務めています」(同監督)
愛される集団
「みんなバカだから!」
優勝後の報道陣のインタビュー取材では、笑いが絶えなかった。チーム全体にある明るい空気の要因を、遠藤主将は一言でそう答えた。
「ピッチャー? いやぁ、それは聞かないでください」と、決勝の4番手で登板した大島健士郎。四番打者としては3安打3打点、1回戦ではサヨナラ打など優勝に大きく貢献した。
「サヨナラ打? あれはですね、今この目の前にいるコイツ(三番打者・国崎瑛人)と、その前を打つ柳(咲太朗)ってヤツが凡退しまして、何やっとんじゃ! と思ったんですけど、まぁ、ボクが美味しいところを持っていこうと思いましたね。打った後はうれしくて、泣いちゃいました。ワタシは天才です」(大島)
決勝の5回表、中越え3点二塁打を放った国崎は、送球間に三塁を狙うもこれはアウト
イジられた国崎は、5回表の満塁走者一掃のダメ押し二塁打をこう振り返る。
「前の守りで1点差まで詰められちゃったので、これは打たなきゃいけないと思って。あとは相手の外野がめっちゃ浅くて(笑)。ちょっと、舐めとんのか! と思って頭を越してやろうと」
4回、打者一巡の攻撃の口火となる二塁打を放った岡野壮良は「1打席目のピッチャーフライの反省で、うしろ(テイクバック)を大きくつくって打つことを心掛けていたら、大好物のコースにボールが来てくれました。でもピッチャーでは」。
そこまで言うと、周囲から「オマエ、スピードガン(球速表示)ばっか見てるから!」「で、ストライク入らない!」と横槍が入る。「いや、オレは然(遊撃手・米田)を見てたんだよ! まぁ、みんなでチーム一体になって最後まで勝ち切れたから、めちゃくちゃうれしいです」と、白い歯を見せて笑った。
今大会は捕手の代役に左翼での好守、二塁打も2本とマルチに働いた岡野。マウンドで結果は残せなかったが球威は十分だった
笑い抜きのコメントも複数聞かれた。攻守で渋く働いた右翼手の泉春輝は「チームの目標は全国1位を獲ること。そのために、みんなでしっかりと声を掛け合って、楽しくやることが大事だと思います」。1回戦はバットで、決勝は堅守で勝利に貢献した米田は「いつも点差が開く(リード)と、終盤に点をたくさん取られるので、今日はそうならないように気を引き締めて。みんなにそういう声掛けもしていました」。
陰気や卑屈と無縁。勝っても勘違いはないし、試合中も対戦相手を貶めるような昭和チックな声掛けは聞かれない。誰からも愛されるチームが、秋の関東王者に初めて輝いて相好を崩した。
「この大会、この試合(決勝)で、できなかったことも山ほど確認できましたので、それをまず、できるようにしていくことが当面の課題ですね。次の目標を決めるのは子どもたちですけど、おそらくマック(全日本学童大会)の出場だと思うので、『そこに向かってできることは全部やるぞ!』という確認をしたいと思います」(酒井監督)
―Good Loser―
猛打で銀メダルに功労。涙と沈黙の先に…
ゆあさ・あさひ湯浅朝陽
[阿久津5年/遊撃手兼三塁手]
5秒、10秒、20秒…。決勝を戦い終えた背番号6は、取材者を前に沈黙。その頬を涙がゆっくりと伝っていった。
あまりのショックと悔しさとで、言葉を失う。そんな状態だったのかもしれないが、どうにか声を発した。
「あの…ボクのミスから点を入れられて、そこから相手に流れがいって負けてしまったので…」
湯浅朝陽が悔やんだミスは、先制した直後の3回表の三塁守備だった。一死一塁でのバント処理。タイミングは一塁アウトだったが、送球が高く抜けてしまった。白球がライトあたりを転々とする間に一走が生還して同点、さらにピンチが広がって1対3と逆転された。
確かに手痛い失策だったが、舞台は5年生が主役の新人戦。関東王者を決める決勝でも、両軍合わせて6個ものエラー(公式記録)があり、その数は勝った相手チームのほうが多かった。
準決勝は右へ左へ4打数3安打。フォロースルーまで迫力満点だった
彼は不動の四番として、銀メダル獲得に大きく寄与した。1回戦と準決勝で7打数6安打4打点。二塁打2本に三塁打が1本、打ち損じの1本も敵失となり、全7打席連続で出塁という、とんでもない活躍ぶりだった。
そのあたりも指摘されて、湯浅はどうにか言葉を取り戻した。
「はい、関東大会なのでピッチャーのレベルも高かったんですけど、そのレベルについていけたことは、まぁ、良かったかなとは思います」
迎えた決勝は3打席で音なし。1回裏二死二塁の先制機は、二ゴロに倒れた。準決勝までのように早々に打線を乗せられず。その後の守りのミスをバットで挽回できなかったことも、ショックの尾を引かせたのかもしれない。その責任感の強さは、小林勇輝監督も認めるところだ。
決勝の4回裏、一打同点の場面で三邪飛に倒れて天を仰ぐ
「湯浅は普段はおとなしくて、もうちょっと自分を出してもいいかなというくらいなんですが、野球になるとグッと力が入る子。同じ1つのミスでも練習試合と関東大会の決勝とでは、ぜんぜん違うんだと思います。そういう舞台を経験できたことで、さらに大きく成長していってくれると思います」
2024年は公式戦(大会)で20本近くの本塁打をマーク。練習試合でのホームランは数えきれないほどになり、カウントをやめたという。
「来年から使うバットはまだ決めてないですけど、野手の間を強く抜くような打球を意識して、チームに貢献したいなと思います」
純朴なナイスガイ。図抜けた長打力に加えて、強肩もまた大きな魅力だ。秋の猛打と沈黙と涙は、厳しい冬を乗り切るエネルギーにもなるだろう。どこまで伸びていくのか、おおよその見当すらもつかない。